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2021/03/21

自閉スペクトラム症と不注意


自閉症の特徴として不注意が挙げられている場合がある。

以前にも2ちゃんねるに何度か書いたが、
私は、自閉症の最も本質的な心理学的特徴は
複数の事柄に同時に注意を払うことの困難さだと考えている。

生きていくには、やらなければならないことは沢山ある、
つまり注意を払わなければいけないことは沢山ある。

自閉症の程度の軽い人は、色々なことをやらなければいけない
ということはわかるので、実際に色々なことをやろうとするが、
複数の事柄に同時に注意を払う能力が限界となり、
あれこれと不注意をしてしまうのではないか?

自閉症の程度が重くなると、色々なことをやらなければいけない
ということもわからないか、わかっていてもやらなくなってしまい、
一つのことに集中してしまうので、不注意の症状は無いように見える
だけではないか?

そのような人は、複数の事柄を同時にやらざるを得ない状況に陥った時は、
あれこれと不注意が出る、それも普段から不注意があると言われている
人以上に不注意が出るのではないか?

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2021/03/20

コミュ力の高低と、仕事が選べるか?


一般にコミュニケーション能力(以下コミュ力)の高い人は、
どんな仕事でもそれなりにこなせる気がする。
一方コミュ力の低い人は、自分に合った仕事、コミュ力をあまり必要としない仕事
を選ばないと、長続きしないだろう。
しかし、現在の就職活動は面接重視であるので、
コミュ力の高い人のほうが自分の希望する仕事に就きやすい。

コミュ力が普通にある人でも、人間関係は辛い、コミュ力をあまり必要としない仕事
に就きたいと思う人は多いだろう。
するとコミュ力をあまり必要とせずかつ条件のよい仕事は、人気のある仕事にもなる。
面接を突破するのが難しい仕事になる。
コミュ力の低い人がそのような仕事に就くことは難しいだろう。

コミュ力の高い人、仕事を選ばなくてもなんとかなる人は仕事を選ぶことができ、
逆にコミュ力の低い人、本来は仕事を選ばないといけない人のほうが、
仕事を選ぶことができない、という状況になっていると思う。

コミュ力の低い人が、コミュ力をあまり必要としない仕事を選べと言われても、
それでかつ待遇がそれなりに良い仕事には、コミュ力が低いために就けないのである。
結局、条件は良いがコミュ力が重要な仕事か、
コミュ力はあまり必要がないものの条件も悪い仕事かに就く羽目になり、
長続きしないということも多いだろう。

コミュ力が低い人は、コミュ力が低いために、
コミュ力をあまり必要としない(かつ待遇がそれなりに良い)仕事には、
コミュ力重視の面接に通らないので、就けないのである。


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2021/03/19

自閉スペクトラム症、社会性の障害


他者に興味を持つ、他者を理解する、また社会的規則を理解するということは、
直接他者と接することでしかできないわけではない。
学校などでは、遠くから他者の様子を観察している場合がある。
また、本を読んだり、テレビを見たり、インターネット上でのやり取りを
観察したりなどをすることもできる。
直接他者と接しようとしないからといって、他者に興味がないとすることはできないし、
直接他者と接しなくても、上記のような別の方法により、
かなりの他者の理解や社会的規則の理解を得ることもでき得るだろう。
ただし、それに沿った適切な行動をとれるかはまた別である。

直接他者と接したとき、つらい経験を繰り返したなどで、
いつも一人でいる、孤独を好むように見えても、
本を読むなど他の方法で他者に関心を持ち他者や社会的規則を理解しようと必死な人は
かなりいるのではないか?

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2021/03/18

同一性への要求


時間が経つと、持てなくなるものが増えてくる。
できなくなることが増えてくる。
それに対抗するために、新しいものを得よう、
新しいことをしようとする。

変化を求める。
変化には悪い変化もあるが、良い変化もある。
変化のないことを望んでも、常に時間は流れるので、
持てなくなるもの、できなくなることは増える一方で、
時間とともに何もない状況になっていく。

同一性への過度な要求はこのような点でも怖い。

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2021/03/14

自閉スペクトラム症、社会性の障害、DSM-5


自閉スペクトラム症の社会性の障害とは
他者への「興味」「コミュニケーション」「理解」の困難と
「社会的規則」を理解し守ることの困難に分けて考えるとよいと書いたが、
このことを、DSM-5の自閉スペクトラム症の診断基準の
社会的コミュニケーションの障害の部分と比較して考察する。


A.複数の状況で社会的コミュニケーションおよび対人的相互反応における
持続的な欠陥があり、現時点または病歴によって、以下により明らかになる
(以下の例は一例であり、網羅したものではない)

(1)相互の対人的-情緒的関係の欠落で、
例えば、対人的に異常な近づき方や通常の会話のやりとりのできないこと
といったものから、興味、情動、または感情を共有することの少なさ、
社会的相互反応を開始したり応じたりすることができないことに及ぶ

(2)対人的相互反応で非言語的コミュニケーション行動を用いることの欠陥、
例えば、まとまりのわるい言語的、非言語的コミュニケーションから、
アイコンタクトと身振りの異常、または身振りの理解やその使用の欠陥、
顔の表情や非言語的コミュニケーションの完全な欠陥に及ぶ

(3)人間関係を発展させ、維持し、それを理解することの欠陥で、
例えば、さまざまな社会的状況に合った行動に調整することの困難さから、
想像上の遊びを他者と一緒にしたり友人を作ることの困難さ、
または仲間に対する興味の欠如に及ぶ


※カプラン臨床精神医学テキスト日本語版第3版P1296より


(1)の社会的相互反応を開始したり応じたりすることができない、
つまり自分から他者に話しかけるなどをしたり、
相手から話しかけられるなどをされても応じない、
ということは主に「興味」の困難である。
(3)の仲間に対する興味の欠如も「興味」の困難。
さらに(1)の他者と興味、情動、感情を共有することの少なさも、
他者とそれらを共有しようと自分から他者へ接触を図るということが少ない
という面を見れば「興味」の困難となる。

(1)の通常の会話のやりとりができないことのうち、
自分が言語を正常に使用できないという面、
(2)で書かれていることにおいて、自分が、アイコンタクト、身振り、表情などの
非言語的コミュニケーションを使用することの欠陥は
「コミュニケーション」の困難になる。

他者への理解に関して、他者のことを頭で理解することと、
他者に共感すること、つまり相手が楽しそうにしていれば自分も楽しくなるということ、
この2通りの理解があると前提しているであろうことに注意が必要である。
(1)の通常の会話のやりとりのできないことのうち相手の言葉が理解できないという面、
(2)のうち、相手の非言語コミュニケーションが理解できないという部分は
「理解」の困難となる。
そして(1)の他者との興味、情動、感情の共有の少なさの、
他者と接しているとき、相手の興味、情動、感情に共感しないという面を見れば
共感としての「理解」の困難となる。

(3)のさまざまな社会的状況に合った行動に調整することの困難さは
「社会的規則」を理解し守ることの困難である。
(1)の対人的に異常な近づき方は社会的規則を守ることができない例である。

残りの(3)の想像上の遊びを他者と一緒にすることの困難さ、
友人を作ることの困難さは、
社会的コミュニケーションの障害の結果起こる事柄である。
そして、例えば友人を作ることが困難なのは、他者に対する「興味」が少ないからか、
興味はあり他者へ接触を図るが適切な「コミュニケーション」ができなかったり、
他者を「理解」できないために相手から嫌われるなどして作れないのか、
「社会的規則」を守れず、相手を怒らせたりして作れないのか、
おそらくこれらが複数混ざり合って作れないのである。
社会性の障害の結果として起こることを、社会性の障害の例として診断基準とするのは
私は不適切と考える。


以上より

他者への興味の困難
・他者から接触があっても応答しない
・他者に自ら接触しようとしない
・他者と興味、情動、感情を共有しようとしない

他者へのコミュニケーションの困難
・言語を正常に使用できない
・非言語コミュニケーションの使用の欠如

他者の理解の困難
・相手の言葉が理解できない
・相手の非言語的コミュニケーションが理解できない
・相手の興味、情動、感情に共感しない

社会的規則を理解し守ることの困難
・さまざまな社会的状況に合った行動に調整することの困難さ


と分けることができるだろう

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2021/03/13

自閉スペクトラム症、社会性の障害


自閉スペクトラム症を理解しようとするとき、わかりにくい原因の一つは
ただ症状が羅列してあるだけで、上手に分類されていないことである。
これこれは社会性の障害、という所までは分類されているが、
そこから先はごちゃごちゃであるように感じる。


他者と関わるときには流れがある。

まず自分が他者と関わりたいと思い、他者に接触を図る、
または、他者から接触がある。
こうして他者との関わりが始まる。
この段階で問題があれば「他者への興味の困難」とする。

他者と実際に関わるとき、主に言語を用いるが、
他に、視線、表情、身振りなどの非言語コミュニケーションを用いなければ
ならないこともある。
このときの問題を「他者とのコミュニケーションの困難」とする。

他者と関わる中で逐次相手の気持ちなどを理解していかなければならない。
ここで「他者の理解の困難」の問題がある。

そして他者との関わりを繰り返すことなどで社会的規則を理解していく。
ここに問題があると「社会的規則を理解し守ることの困難」となる。


症状の例を見ていくと、
自閉スペクトラム症では、他者と関わるときの流れの4つの段階すべてにおいて
困難があると考えられる。

社会性の障害を、他者に対しての「興味」「コミュニケーション」「理解」の困難、
および「社会的規則」に対する困難の4つに大きく分けて考えるとよいのではないか?

症状の例の多くは、「興味」「コミュニケーション」「理解」「社会的規則」
のうちのいくつかにまたがっているように思える。

特に「社会的規則」に関するものは、「興味」がないから「理解」できない、
「理解」できないから「社会的規則」もわからないまま、とつながると考えられる
ものが多い。

しかし、とにかく、各症状は「興味」「コミュニケーション」「理解」「社会的規則」
のうち、特にどれに重点が置かれているかを考えることにしている。


社会性の障害は
他者への興味の困難
他者とのコミュニケーションの困難
他者の理解の困難
社会的規則を理解し守ることの困難

の大きく4つに分けられると考える。

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2021/03/12

片づけができない


ある行動をしている。
それが終わらないうちに別の行動に興味が移る、
または別の行動をやらざるをえなくなる。
以前の行動は中途半端のまま終わらせなければならない。

このような時、次の行動が終わったら、
または次の行動と平行して、
以前の行動の一応の後始末つまり片付けができれば、
散らかることはないはずである。

しかし、次の行動が始まればそれのみに集中してしまう、
以前の行動は放ったらかし、
そして次の行動が終わる頃には、
以前の行動の内容は忘れてしまい、散らかったまま。

複数の事柄に同時に注意を払えないということは、
片付けができないことと関係している気がする。


何が言いたいのかというと、
私は自閉スペクトラム症の最も本質的な心理学的症状は、
複数の事柄に同時に注意を払えないことだと思っている。
ADHDの症状として、片付けができないというものがある。
これらは関係してるだろう、ということ。

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